心が貴族であるとは、どういうことか?
字面から想像はできると思うが、
「心の貴族」とは、外側のものではない。
資産も、持ち物も、着ているものも関係がない。
これはあなた自身の在り方であり、
生きる姿勢であり、心持ちのことである。
江戸っ子の信条のように、
「ボロを纏えど心は錦」
ということだ。
つまり、
何をどうしようと、何をどうされようと、
まったく影響を受けない、あなたの心の話しである。
いわゆるリッチな生活をしている場合でもよいし、
いわゆる普通の生活でもよいし、
いわゆる貧困な暮らしでも関係ない。
なぜなら、
歴史上、真の貴族は
たとえ落ちぶれようともその気概を失いはしなかったからだ。
もちろん、
年齢だとか体力だとかジェンダーだとかも関係ない。
これと同じで、
「心の貴族」というものは、
超富豪だろうが、破産しようが、成金だろうが、庶民だろうが、
年端もゆかぬ子供であろうが、
何年も入院していようが、
今すぐになれるものである。
そう、
あなたの心ひとつの話しであるから
誰でも今この瞬間に、「心の貴族」になることができるのだ。
一方、
どれだけ資産があろうと、
どれだけ人脈があろうと、
どれだけ体力があろうと、
本人の心が卑しければ、
それは「心の貴族」ではなく、心の貧民である。
なぜなら、
真の豊かさ、
真の幸福というものは、
本人の意識の問題であり、
本人の心の状態によるものだからだ。
それは、
ひとことで言えば、愛である。
愛とは生命であり、
すべての源である。
すなわち
生命力とは愛の強さであり、
これが強い者を、「心の貴族」と呼ぶのだ。
そして、
これが弱い者が、心の貧民である。
要するに、
心持ちが貴族的であること、
それが、幸せそのものなのだ。
人はすべからく平等に創られしものであるが、
本人が満たされているか否かは
「心の貴族」であるか否かにかかっている。
それは、
内面の努力によって形作られるものであるが、
決めさえすれば
今すぐ「心の貴族」にシフトチェンジすることができる。
なぜなら、
心持ちというものを
変えるのに要する時は、一瞬であるから。
心の貧困もまた、
習慣や考えクセのみならず
一瞬にしてなることができるが、
ゆえに、
「心の貴族」であり続けることに
大きな意義があると言えよう。
つまり、
瞬間瞬間
「心の貴族」という状態にいること、
これこそが、
「心の貴族」の目的であり、ゴールである。
そして愛は放射する。
至高にして唯一の源である
我々生命そのものの輝きとして、
それぞれの色どりをもって
世界を照らすのである。
Ainsi soit-il.
(かくあれかし。)